オーロラの街 カナダ・イエローナイフ。旅の滞在先はゆったり泊まれるスイートルームで。ホテルやB&Bに代わる、新しい宿泊施設がスタートしました。

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しまのつぶやき

無口なじいちゃんの置き土産

もうすぐお盆ですね。
こんな記事を見つけました。
こんな形で故人を偲ぶ家庭も、今年はいつも以上に多いのでしょうね。
(文中の略語ですが、ウト=舅、トメ=姑です)

  • 無口なじいちゃんの置き土産

隣家別居のウト(故人)は、いわゆる空気な人だった。

落ち着いてきたので書いてみる。

隣家別居のウト(故人)は、いわゆる空気な人だった。
孫には興味を持ってたみたいで子守はたまに引き受けてくれたが、
それ以外は本当に空気で、生前の記憶といったら、年末年始に
ただ黙々と年賀状の山を作り出しては「郵便局」と出かけてくいくか、
私の子にしつこく布団蒸しごっこをしかけては私を切れさせてた事くらい。

でも今回の震災で、その印象ががらっと変わった。
震災の時にあわてて探した防災避難用具一式は、
ウトが頻繁に手を入れて常にベストな状態に保っててくれたもの。
ウトが亡くなるちょっと前に話題になった保温シートとか、
高低差の記された避難専用地図も入ってた。
義実家のタンスや納戸には、不器用ながらウトの手で耐震対策が
施されてたおかげで、トメは昼寝中に寝室のタンスで
押しつぶされることもなく、飛び散って砕けた食器類で
怪我することもなく、無傷で済んだ。
たまたま義実家にいた私と息子も同様。

そして、地震後にすぐ逃げなきゃ逃げなきゃ!と言い出したのは、
実は幼稚園児の息子。
あとで話を聞いたら、ウトの布団蒸しごっこは
津波が襲ってくるごっこ?だったみたい。
息子が夕方とかにうたた寝してると敷物をゆさゆさ揺すって、
津波が来るぞー逃げろーって布団で息子を飲み込む遊びだったらしい。
地震があった後、息子はこれを思い出したらしい。
息子の逃げなきゃ!の声で我に返った私とトメは、
防災用具一式と息子を背負って、高台まで大急ぎで逃げた。

結局家こそ流されはしなかったけど、戻ることはできなくて、
旦那が海外赴任中の私達は本当に不安な数日だった。
そんな私たちに手を差し伸べてくれたのは、生前ウトが年賀状で交流を
続けてた見知らぬ土地のウトの旧友、知人たち。
連絡を取り合って、私たちを県外の仮住まいに落ち着かせてくれて、
旦那にも連絡を取ってくれてた。
海水でだめになったアルバムの代わりにと、年賀状や季節の折々に
ウトが送ってた息子の成長記録ともいえる家族写真入りのハガキも
ごっそり譲ってくれた。

ウトはいい人だった。もっとコミュニケーションをとればよかった。
息子のことで悪態なんかつくんじゃなかった。
海に飲み込まれたしまったんだろうウトの位牌を、取り戻したくてしょうがない。
ウトが出してたハガキの家族写真は、いつもウトがカメラマンで、
どれにもウトが写ってない。
もう一度会いたいと強く思いながら、もうすぐ始めてのお盆だよ。


孫への布団蒸し、カートラッセルの「ソルジャー」という映画の中のエピソードを思い出しました。映画の人も無口で感情が出せない人だったし。

そう言えば、みんなに笑われながらも近所の小山に避難場所を整備していたおじいさんがいて、周辺住民がたくさん助かったという場所もありました。
何にも動じず、何も言わずに黙々と自分の考えたことをしていく姿に、東北人の人柄を感じます。

元記事:
http://blog.livedoor.jp/ikuzi2p/archives/4031554.html

2011年8月 しま

「ソルジャー」カート・ラッセル

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